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熊野古道・中辺路ルート(中辺路町)
熊野古道・中辺路ルート(中辺路町)
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熊野古道館 滝尻王子 熊野本宮大社
熊野古道館 滝尻王子 熊野本宮大社

 熊野三山へ詣でる「熊野詣」。平安時代に白河上皇や後白河上皇が参詣したことで、貴族たちが詣でるようになり、江戸時代には武士や庶民までもが列をなしたので「蟻の熊野詣」といわれました。京都から淀川を下って大阪の八軒屋へ。そこからは熊野古道を歩きました。京都や大阪から海岸沿いに南下する「紀伊路」、紀伊田辺で山へ入り本宮大社に向かう「中辺路(なかへち)」、海岸沿いに回る「大辺路」など、熊野古道は6ルートほどありましたが、中辺路が最も多くの人が通ったルートでした。現在は国道311号を中辺路ルートに重ねますが、和歌山県中辺路町にある熊野古道館前の滝尻王子から本宮大社や那智大社まで、昔の中辺路がそっくり残っています。

 王子は遠くから本宮大社を拝む支社、末社。一気に本宮大社へ行くのは大変なので、王子ごとに区切りをつけて熊野へ向かいます。九十九王子といわれますが、正確には九十七王子。そのなかでも滝尻王子は格の高い社で、鳥居、本殿、拝殿がそろっています。

 熊野本宮大社(本宮町)は、全国に3000社以上ある熊野神社の総本宮。創建は崇神(すじん)天皇のころと伝えられています。中辺路ルートでの熊野詣は、ここが最初の参詣地となるため、本宮大社だけで帰ることもあったようです。


(熊野本宮大社) 神倉神社・コトビキ岩 熊野速玉大社
サッカーでもおなじみ八咫烏(やたがらす)の絵(熊野本宮大社) 神倉神社・コトビキ岩 熊野速玉大社

 熊野速玉大社(新宮市)の近くにある神倉神社には、巨大な「コトビキ岩」があります。伝説では、神武天皇が熊野上陸の際にやっとの思いで登った天磐盾(あまのいわたて)が、このコトビキ岩とのこと。景行天皇の時代、ここに熊野三所権現が降臨し、その後遷座したのが今の熊野速玉大社です。

 熊野那智大社(那智勝浦町)は、社伝によると、神武天皇が那智に上陸した際、山に光輝くものを見て那智の滝を探り当て、神として祭ったのが始まりで、仁徳天皇が今の熊野那智大社に社殿を移したとのことです。


八咫烏神社 熊野那智大社 熊野那智大社
熊野速玉大社内にある八咫烏神社 神武天皇が東征の際に奈良へ向かう山中で迷いその時に道案内をしたのが八咫烏といわれている 熊野那智大社 熊野那智大社

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