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紀淡海峡(手前が友ケ島、奥が淡路島)
紀淡海峡(手前が友ケ島、奥が淡路島) 第3砲台跡・弾薬支庫

 紀淡海峡は、昔から京都・奈良・大阪と四国を結ぶ重要な海上交通路で、前後の陸路を含めて「南海道」と呼ばれてきました。そこに浮かぶ友ケ島は、沖ノ島、神島、虎島、地ノ島の4島の総称で、瀬戸内海国立公園の一部となっている美しい島です。和歌山市の加太(かだ)港からは、沖ノ島への船が出ています。

沖ノ島の野奈浦桟橋 野奈浦桟橋近くに展示されている要塞砲弾 第4砲台跡 第3砲台跡

 この島は昔から軍事的役割を担ってきました。江戸時代には紀州藩が海軍奉行を置き、明治になると勝海舟の反対にもかかわらず、海軍省が要塞建設を進めました。沖ノ島の桟橋近くには、1m弱ほどの要塞砲弾が今でも置かれています。淡路島の由良、友ケ島、加太の深山を要塞ラインにして、大阪湾に入ってくる米軍を友ケ島付近で撃沈しようと、友ケ島要塞(由良要塞)が造られましたが、日清戦争が始まると大砲はすべて中国・旅順の二〇三高地に移動されました。その際の残りの弾がここに展示されています。

将校宿舎跡 土手の切れ目部分 友ケ島灯台
第3砲台跡近くにある将校宿舎跡。建物内部は純日本式間取りで将校たちの憩いの場だった 将校宿舎や第3砲台の海側は土手で守られていた ここが土手の切れ目部分 友ケ島灯台

 6カ所の砲台跡や明治初期に出来た友ケ島灯台などが、百年の時を経て現存する島。とくに第三砲台跡は最も大きく、砲台跡、弾薬支庫、将校宿舎跡などが残っています。一方で、訪れる人を素朴な自然が包み込んでくれる楽園でもある友ケ島。漁師が大波にあって20〜30人が死んだものの、大変親孝行の孝助だけが松にしがみつて助かったという伝説のある「孝助松」の海岸や、昔、コンノトリがつがいで巣を作っていたといわれる島で一番高い「コウノ巣山展望台」などを、のんびりとしたハイキングコースとして巡ることもできます。

島にあふれる自然 動物 孝助松の海岸
島にあふれる自然 クジャクやシカ、リスなどの動物も見かける 孝助松の海岸

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近畿道ものがたり取材アルバム 道でたぐる想い出の糸