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日本三景「天橋立」
日本三景「天橋立」
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天橋立の近影 天橋立の内部 宮津市歴史資料館
天橋立の近影 天橋立の内部 宮津市歴史資料館では雪舟の天橋立図の複製も展示されている

 日本三景の一つである天橋立は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が立てかけた天と地とを通うはしごが、眠っている間に倒れてしまって出来たものと「丹後国風土記」には記されています。しかし実際には、宮津湾奥の野田川や天橋立北側の川から流出する土砂が、南への海流で運ばれて堆積し、氷河期と間氷期に海水面が上下した作用で現在のような珍しい地形が出来たと考えられます。
 天橋立といえば、室町後期の画層・雪舟が描いた「天橋立図」が有名。当時の画家は、誰かからの注文を受けて描くのが一般的でした。山口から幅170センチもの大作を描きに来た雪舟にも、当然、注文主がいたと考えられ、有力候補の一人としては、丹後一宮籠(この)神社に属した密教系僧侶(当時は神仏一体)の智海(ちかい)があげられます。智海は、智恩寺の多宝塔(重要文化財)が建立された際の総指揮者でもありました。

切戸の回転橋1 切戸の回転橋2 天橋立へ渡る切戸の回転橋3
天橋立へ渡る切戸の回転橋1 天橋立へ渡る切戸の回転橋2 天橋立へ渡る切戸の回転橋3

 天橋立と陸地は「切戸(きれど)」によって分断されているため、回転橋を渡って行き来します。その回転橋のすぐ近くにあるのが、日本三文殊の一つである智恩寺。平安時代に醍醐天皇の勅願で寺領が寄進され、以来、「切戸の文殊さん」として親しまれています。海沿いには、智恩寺を示す目印の「知恵の輪灯ろう」があり、舞鶴方面からの船からの標識になっていました。子供たちがこの輪をくぐって遊び、くぐると知恵を授かるという伝承もあります。

智恩寺山門 多宝塔(重要文化財)と本堂(手前) 「知恵の輪灯ろう」
智恩寺山門(宮津市指定文化財)朝廷より黄金を下賜されたことから「黄金閣」の名を持つ 智音寺・多宝塔(重要文化財)と本堂(手前) 「知恵の輪灯ろう」雪舟の絵にはないが江戸初期の絵には描かれている

 天橋立の北側の山上にある傘松公園は、天橋立が天に向かって架かっているように見える「股のぞき」が楽しめるポイント。また、南側の栗田(くんだ)半島の付け根にある「雪舟観」は、雪舟が天橋立を眺めたであろうビューポイント。ミツバツツジの名所でもあります。天橋立はいろいろな場所から楽しむのがいいようです。

傘松公園での「股のぞき 「雪舟観
傘松公園での「股のぞき」 「雪舟観」はミツバツツジの名所 雪舟もこんな天橋立を見たに違いない(雪舟観)

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