高宮宿にあるちょうちん店


 古くから「東山道(とうさんどう)」として存在していた中山道は家康により整備されました。本来は江戸から守山(滋賀県)までの六七次をいいましたが、歌川広重の「木曾街道六十九次」が出てから大津と草津も入れた六九次とされました。木曽路を抜ける険しい道でしたが、東海道には大井川など大水に阻まれる場所があったため、この道は女性によく利用されました。幕末の皇女、和宮の降嫁も中山道でした。
 高宮宿(彦根市)で目につくのが、多賀大社の一の鳥居です。「お多賀さん」は数キロ離れていますが、ここは昔から参拝する人でにぎわいました。低い二階、格子戸や袖うだつなど、今もたっぷりと街道の雰囲気が残っています。

宿場町の雰囲気にひたれる高宮宿 高宮宿へは橋を渡って 多賀大社の「一の鳥居」

鳥居本宿 木枯らし門次郎が着ていたような合羽を売る店の看板 中山道と朝鮮人道(彦根道)の合流点

 高宮宿から北へ8キロほど行くとあるのが鳥居本宿(彦根市)。やはり昔の町家が並び、旅の必需品である合羽の店の看板がいつくも残っています。また、中山道と朝鮮人道(彦根道)の合流点であることを示す道標も建っています。江戸時代に将軍が代替わりするたびに訪れた朝鮮の使節は、この朝鮮人道を通って江戸へ親交を深めに行きました。
 磨針(すりはり)峠を越え、番場宿や醒ケ井宿を過ぎると、柏原(かしわばら)宿(山東町)に出ます。伊吹山麓にあるため「伊吹もぐさ」の店が多く、今も「伊吹堂亀屋左京商店」が営業中です。広重の「木曾街道六十九次」にも描かれているこの店のシンボルは、大きな福助人形。街道の名物の一つにもなっています。その斜め前にある山東町立柏原歴史館には、旅に便利な折り畳み式ちょうちんや枕、合羽などが展示されていて、古(いにしえ)の旅人の姿を想像することができます。


磨針峠 馬場宿 柏原(かしわばら)宿

柏原宿歴史館に並ぶ「木曾街道六十九次」の絵 柏原宿の“有名人”福助にもいろんな表情がある(柏原宿歴史館) 柏原宿歴史観は大正6年竣工の旧松浦久一郎邸を改築したもの
柏原地域では他に例を見ない贅沢な造り

 

近畿道ものがたり 取材アルバム