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平福宿の家並み(作用町) | 大原宿本陣 |
岡山県との県境の町、兵庫県佐用町には、「因幡(いなば)街道」の宿場町として栄えた平福宿があります。作用川の横を走る因幡街道には、昔ながらの家々が並び、建物の裏側にあたる作用川の川べりには歩道があり、建物は石垣の上に建っている形になっています。川へ下りる門もあります。 |
平福宿を通る因幡街道 | 平福本陣跡 | 「武蔵血闘の場」の碑 武蔵が13歳の時に初勝負を挑んだ金倉(かなくら)橋のたもと |
この平福宿は、慶長年間に築城とともに造成されました。1.2kmの間に家が300戸以上、旅籠(はたご)が12軒ほどあったようです。今も300戸の8割に屋号がついていて、商人が多かったことを物語っています。鳥取藩の本陣があり、鳥取藩主が平福で一泊して、三日月(町)、千本(新宮町)、姫路へと向かう、その道が因幡街道でした。また、平福宿の南端の金倉(かなくら)橋のたもとには、宮本武蔵が「何人なりとも望みしだい手合わせいたすべし。われこそ日下無双兵法者なり」という、新当流の達人・有馬喜兵衛(きへえ)の高札を見て、13歳で初決闘をして勝利した場所があります。 |
金倉の六地蔵(宮本武蔵決闘の場の隣)平福の南端・金倉橋の一帯は江戸時代に平福藩の刑場跡と伝えられる六地蔵はその供養のために建てられたともいわれている | 武蔵の里の最寄り駅は「宮本武蔵駅」 | 武蔵の里で行われている観光寸劇「決闘厳流島」 |
岡山県大原町は美作国(みまさかのくに)。宮本武蔵誕生の地として知られています。武蔵誕生地を主張するところは兵庫県下だけでも2カ所ありますが、この町は智頭(ちず)急行宮本武蔵駅近くに「武蔵の里」を整備し、宮本武蔵で町おこしをしています。中心施設は「武蔵の里・五輪坊」で、公共の宿となっているほか、武蔵資料館などがあります。武蔵の里には、武蔵が二刀流を開眼したという讃甘(さのも)神社や、武蔵の生家、姉のお吟が嫁いだ平尾家、武蔵神社、武蔵の墓などがあります。また、観光寸劇「決闘厳流島」が毎日上演され、訪れた人を笑いの渦に巻き込んでいます。 |
宮本武蔵生家 | 武蔵資料館 | 五輪坊の武蔵像は記念写真を撮る人が絶えない |