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室津港
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室津の町 室津街道 竹製のベンチ
美しい室津の町 室津街道 室津街道に設置されている竹製のベンチ

 御津町室津は、魅力的な港町として人気があります。三方を山に囲まれた室(部屋)のようになった港(津)なので、室津の名がついたとのこと。港として1300年の歴史を持つと考えられますが、最も栄えたのは江戸時代でした。西国の大名が参勤交代の際、室津まで船で来て上陸、室津街道を北上して山陽道へと出ました。室津から先は海岸線が遠浅で、島もないため、緊急時に避難する場所がなく、ここが船旅の東限となっていました。

井戸 茶屋跡  茶屋跡
馬に水を飲ませるために掘られたと想像される井戸 茶屋跡 ここから大量の焼物が出てきた 茶屋跡からの眺め

室津街道は、朝鮮通信使や、長崎・出島に滞在を許されたオランダ人が、年に一度江戸参府する際にも使われました。オランダ商館医のシーボルト(ドイツ生まれ)もその1人で、日記のようなものに室津街道の様子を非常に詳しく記載しています。そんな重要な道だった室津街道も、急な坂道で荷物が運べないため、明治の中ごろには横に車が通れる道が造られて使われなくなりました。しかし、室津の町づくりグループの「嶋屋」友の会が、古い地図を片手に、チェーンソーと草刈り機を使って室津街道を復活。2003年3月には、オランダ領事夫妻も招いてオープニングセレモニーを行いました。

本陣 本陣 本陣 本陣 本陣 本陣
室津には何と六つも本陣があった。雨で船が出ずに足止めされる大名が重なるため

 ところで、室津は遊女の発祥地といわれています。井原西鶴が「好色一代男」に室津を遊女発祥地の一つと書き、シーボルトも遊女の元祖とされる友君のことを記しています。しかし、一般にイメージされる遊女と室津の遊女とは、大きく異なるものだったと、室津の歴史も研究している「嶋屋」友の会では分析しています。室津の遊女は置屋に所属し、揚屋(あげや)で歌舞を披露したり、和歌を詠んだりして客を楽しませたとのこと。時代劇に出てくるような遊女とは、スタイルが違っていたのだそうです。

室津のメインストリート 「室津海駅館」 「友君の塚」
室津のメインストリートでは街並み保存が行われている 室津のことが分かる「室津海駅館」 シーボルトが友君の墓と記している「友君の塚」

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近畿道ものがたり取材アルバム 道でたぐる想い出の糸