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生野街道(生野町)
生野街道(生野町)
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 生野町は「佐渡の金山、生野の銀山」として知られる町。この町にある「生野書院」では、銀山を中心に生野の歴史が学べる展示が行われています。
 生野に銀があると分かったのは、1200年ほど前の大同年間。中国から仏教が伝わり、東大寺に大仏が開眼するなど全国にたくさんのお寺が建てられ、仏像や仏具に使う銅が必要になったため、近畿地方の鉱山が調査されました。その際、生野に銅はないものの銀があることが分かったのですが、注目を浴びたのは戦国時代になってからのこと。武将たちは伝来した鉄砲に飛びついたものの、鉄砲を買うには金か銀が必要だったたため、生野の銀山を掘りはじめました。最も熱心だったのが織田信長で、生野銀山を占領して掘らせました。

生野書院 生野書院 2代目親柱
生野書院 生野書院の展示 生野街道を造る一番の難工事は川幅100 mを超える市川に架ける生野橋建設 これは生野橋の欄干の2代目親柱(生野書院)

 徳川の時代になり、幕府は生野銀山で採れた銀を、すべて大阪の銀座に送って銀貨にしました。生野で灰吹銀に精錬し、馬で姫路、兵庫、尼崎、大阪へと運びました。馬と人で運んでいるうちは広い道は必要なかったものの、明治になって政府が生野に洗練所を造り、必要な機械や石炭、塩などの資材を船で姫路へ運んだため、姫路から生野への道路が必要になり、12里15丁(約49km)の道が整備されました。生野街道の誕生です。この道は、フランス人の指導下で造られたマクアダム式道路で、一番下に粗い採石を敷き、その上に少し細かい石、さらにその上に一種の砂を並べて固めたものでした。
 閉山した生野銀山は今、坑道が約1kmにわたって観光用に整備されています。世界的に有名な三菱ミネラルコレクション「生野鉱物館」も公開されています

生野街道
生野の銀を運んだ生野街道は銀世界
生野銀山
生野銀山
生野銀山の坑道
生野銀山の坑道

 生野町を北上して日本海に出ると、そこはカニで有名な香住町。香住での漁期は11月6日から3月20日までで、この期間、毎年大勢の人がここを訪れます。値段は12月20日すぎが一番高く、いいものは浜で2万円ぐらい、デパートや高級料亭へ行くと、倍か2.5倍ぐらいにはなるとのこと。香住町では、旅館や民宿で自慢のカニ料理が食べられます。

柴山漁港(香住町) 香住町のカニ料理 香住町のカニ料理
柴山漁港(香住町) 香住町のカニ料理 香住町のカニ料理

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近畿道ものがたり取材アルバム 道でたぐる想い出の糸