ホームに戻るボタン
このエリアの地図ボタン
大阪府の地図ボタン

城之門筋(富田林市) フェニックス通り(堺市)

城之門筋 奥谷家本家 岩永橋 あてまげのみち

 大阪府の堺市と富田林市の共通点といえば、1900年創刊の文芸雑誌「明星」で活躍した2人の女性歌人を生んだ町であること。そして、国土交通省の「日本の道100選」がある町であることです。
 歌人・石上露子を生んだ富田林市は、浄土真宗の興正寺別院を中心に、16世紀半ばに寺内町として町が形成されました。日本の道100選に選ばれた城之門筋には古い町家が並んでいますが、建てられた時代によって、高さや虫籠窓(むしこまど)の形など、雰囲気がずいぶん違います。石畳もあり、そこに石の橋が架かっていて、耳石に「岩永橋」と刻まれています。これは江戸時代、防火用の用心堀があったため架けられた橋。橋を囲むように3軒の大きな町家を建てている奥谷家の繁栄を願って架けられました。この角から延びているのが「あてまげのみち」です。「あてまげ」とは、道を一直線ではなく、両端を50cmほどずらしてクランク状態にすること。見通しを悪くして外部からの侵入者をかく乱するためにしたものです。

石上露子の生家である旧杉山家(大阪府指定・重要文化財) 杉田家住宅 木口家住宅

 歌人・与謝野晶子を生んだ堺市の日本の道100選は、市民に人気のフェニックス通り。道幅が50mもあり、中央分離帯にフェニックスが植えられている美しい道路です。戦後の復興都市区画事業で整備され、沈滞した市民の気持ちを少しでも盛り上げるためにフェニックスなどを植えていったものです。このフェニックス通りと大道筋が交差する宿院交差点付近は、最も魅力あるポイントの一つ。近くに千利休の生家跡があり、また、大道筋には与謝野晶子生家跡の碑があって、隣に晶子の歌碑もあります。そこには、故郷を思って東京で詠んだ、こんな歌が刻まれています。
 海こいし 潮の遠鳴り かぞえつつ
 少女(おとめ)となりし 父母の家

千利休生家跡 右奥は井戸 与謝野晶子生家の跡 与謝野晶子の歌碑

上に戻るボタン  

近畿道ものがたり取材アルバム 道でたぐる想い出の糸