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竹内街道は、大阪府堺市の大小路付近から河内平野を東に進み、二上山南の竹内峠を越え、奈良県當麻町長尾までの約26kmだとするのが一般的です。「最古の国道」といわれますが、そこには少し混同があるようです。613年に難波から堺や長尾を経由して飛鳥まで整備した「大道」は、隋からの客人を迎えるための外交の道でした。しかし、710年に都が奈良へ移るとこの道は忘れられ、再び日の目を見るのは戦国時代末期、自治都市堺が日本の貿易の中心地として栄え、経済の道として堺から長尾までの道が使われはじめてからのことでした。終戦前後の調査で、この二つの異質な道がほぼ同じ所を通っていることが分かったため、いつの間にか竹内街道が「最古の国道」とされてしまったようです。なお、この道が竹内街道と呼ばれはじめたのは、明治に入ってからのことです。 |
叡福寺(太子町) | 叡福寺多宝塔(国の重要文化財) | 叡福寺金堂(府指定文化財) | 聖徳太子御廟 |
竹内街道沿いの名所の一つ叡福寺は、724年に聖武天皇によって建立されたといわれています。前身は推古天皇が聖徳太子のお墓を守るために設けた家。北側奥の山そのものが太子の御廟であり、その南側に建立された叡福寺は、太子のお墓を守る役目を担っています。 |
国道166 号竹内街道 明治時代に難関の竹内街道は掘り下げられて現在の国道のルートができた | 掘り下げられる前の竹内街道に建つ石碑 | 竹内街道歴史資料館 昔の道についていろいろなことが分かる |
昔の竹内街道の姿を最もよく残すのは、當麻町の竹内集落。そこに「綿弓塚」という句碑が建っています。松尾芭蕉の門人の千里(ちり)はこの集落の人で、芭蕉も何度か訪れて句を詠んでいます。「野ざらし紀行」にある「綿弓や琵琶になぐさむ竹の奥」という句はここで詠まれたもので、綿弓が出すビンビンという音を琵琶の音に例えています。綿弓とは、竹にクジラの筋を張った弓のような道具で、それを弾いて綿の繊維と不純物をえり分けました。ここは芭蕉だけでなく、吉田松陰や負けて長州に逃げる天誅組など、多くの歴史上の人物が通っています。 |
綿弓塚(當麻町竹内集落) | 綿弓塚横の古い建物當麻町が買い取って休憩所にしている | 長尾神社(當麻町) |
近畿道ものがたり取材アルバム 道でたぐる想い出の糸